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2023.11.18 No58

活動記録と反省④

中々規則正しい前向きな、きっちりとした生活が身につかない。やるべきことをもっと細分化しスケジュール管理と言うよりもテーマごとに練り上げていく時間を増やさなければ、低品質な仕事となってしまう。ましてや、5社が絡むプロジェクトを回していくにしては繊細さに欠ける。これでは何となく新規のアイデアに取り組んだというので終わりかねない。
アイデア自体面白く、賛同してくれる企業も多い、あとは成功させるだけである。そうすれば更にその輪は広がりもっと多くの賛同者が得られる。何が何でも成功させるのだ。
見城徹が言う様に企てが必要だ。お膳立ては整いつつある。それが爆発していくような、出てきた瞬間に話題となり、皆で取組めるような仕掛けづくりが必要である。成功しない対策に価値はない。投資する資金も労力も成功すればこそ生きるのだ。もっと細かく対応し、仕掛けは大きく。もっと知恵を出せ、もっと時間を割いて考えろ。残されている時間は有限で
失敗すれば次のチャンスを得るのに一苦労である。成功すればさらにもっと面白いことに挑戦が出来る。依頼元のためではない、自分自身のためだ。なぜなら俺が持ち込んだ企画だ。
誰が責任者かは明白である、自分自身だ。もっと己に厳しくなれ!

2023.11.18 No57

見城徹 語録⑭ 「純潔と純粋は熱狂の根源だ。それに企みが培養された時、大ヒットが生まれる」

将に熱狂の根源には思い入れ、思い込み、そしてこの人のために尽くしたいという気持ちが大切だ。自分だけの出世欲や野心、自己承認欲求だけではそこまでのエネルギーが出てこないし、もうこの辺で良いかと継続が難しい。私欲よりも無私の精神の方がパワーは大きくなる。但し、無私で進むためには何が何でも突き進むという熱狂が必要であり、その熱狂を生み出すのは純潔と純粋だ。なるほど、私欲が入り込む余地などない。
そして心がけだけで勝負に勝てるほどに世の中は甘くない。成果の出ないモノに価値はないのである。そこで企てが必要となる。志を成功させるワンピースだ。この企みを成功させるには多くの仲間が必要となり、巻き込んでいくには強力な熱狂があればこそであり、かつ無私の精神である。そう考えるとその成果は自分のために行うモノではなく、世のためであり、その恩恵はかかわった仲間に配分されるべきものだ。ただ自分はやらずにはおれない熱狂をただ一人実現するのみだ。そして、それが失敗に終わったら自らを猛省するのだ。
果実は仲間に、失敗は己に。
「作品にほれ込む気持ち。その純潔と純粋は何物にも替えがたい。しかし、きれいごとだけで作品が売れるほど、世の中は甘くない。純潔と純粋の中に、勝負師としての企みが混交する。その時初めて作品は大衆に受け入れられる。」

2023.11.17 No56

活動記録と反省③

一流のレスポンスはとにかく早い。某大学教授に面談を申し込んだところ則レスで驚いた。
こちらの方が準備できるか不安になる。何事も即断即決、スピードが命だ。
仕掛けが動き出してきたが、今回の企画は多方面で複数のクライアントが異なるそれでいて結局競合するような案件でデリケートだ。慎重に熟慮しながらスピーディーに進めることが求められる。とにかく考えろ、俯瞰しろ、解像度を上げる。
そんな中、誘いの連絡をして迷惑そうに断ってきた人間、単純に忘れていたと謝って連絡くれた人間、退職して起業した身分であるとはいえ、煙たい存在になっているのかと不安となるが、寂しがり屋のせいか人恋しく、仲間が欲しくなる。
昔の仲間ではなく、同じ方向を向いている新しい仲間を作っていこう、ピカピカの1年生。そうでなければ、迷惑爺に成り下がってしまう恐怖がある。とにかく前を向け!

2023.11.17 No55

見城徹 語録⑬ 「無知を武器にしろ」

自分の事を振り返っても常識がないから取り組めたことも多い、また思い込みで失敗したことも多くある。成功体験が敗北の入り口と言われるのも良く分かる。先入観と予見と言うのは隣り合わせで常に疑っていく必要がある。そういう意味では自己検証・自己嫌悪・自己否定という心構えが必要だ。常識にとらわれずできない理由を疑い、斜めからの解決策を諦める事なく常に考えていく事が大切だ。
専門家には専門家の落とし穴がある。研究者も永年の研究が花開くこともあるが、全く違う分野からの発表で研究成果を持っていかれることがある。専門家が偉い、成功するとは限らず、運というモノもあろうが幅広く冷静に見つめる事と知らないが故のチャレンジ(専門側からすると非常識な手法)で成果を出す。
専門家と言うと周りから表面的に持ち上げられることが多いがそのことが知らない間にブレーキをかけていくことに繋がる。他人の評価・自己承認欲求は成果・達成において何の役にも立たないことを自覚し、何とかこれを打開するぞ!の一心でバカバカしいと思える非常識な手でもとにかく試していく。
「毛沢東は革命の三原則は、①若いこと②貧しいこと③無名であること。僕はこれに④無知であることを加えて、革命の四原則と呼んでいる。無知だからこそ、とんでもない発想が生まれるのだ。

2023.11.16 No54

活動記録と反省②

製薬会社とのWebセミナー展開について話し合いはスムーズに決まったが、予定している今のWebセミナーの申し込みは大苦戦である。当初の見込み(思い込みが誤算)を大幅に下回る結果である。更なる工夫が必要で、とても内科から婦人科へと患者を紹介する事など夢のまた夢である。もっと知恵を絞らなくては対策したという自己満足に終わってしまう。
「売れない本に価値はない」「目的を達成しない対策に価値はない」
どのようにすれば内科から婦人科へ患者を送ることが出来るのか?検査を推進して、検査さえ出せば婦人科疾患の診断がなされ婦人科への患者紹介が増えるのか?はたまた月経不順への認識が上がることで婦人科への紹介が増えるのか?悩ましい。
とにかくこのままでは対策は失敗となることは避けられない。
VIP健診へのLC-MSMSのビジネスモデルは面白く、可能性を秘めている。但しこれも素人考えのアイデアでは行き詰まる。もっと妥当性のあるコンテンツを提供できなければ顧客のニーズをとらえることなどできない。専門知識とひねりだ。
知識不足・短絡的思考・練りこみ不足・・・・とにかく助けを借りることにする。 藻掻くのだ、そこから何か得られる可能性がある。そしてそれ以外に打開する方法などないことを自覚しろ。自己否定・降伏論を実践する。

2023.11.16 No53

見城徹 語録⑫ 「心に決めた人を裏切るな」

心に決めた人、誰であろうか?世話になったと言えば甲状腺関連の先生方である。会社でいくらやっても評価されずに(自己判断であるが)腐って自暴自棄にならずに済んだのは甲状腺の先生方がいたからであり、また震災時に商品の品不足に対応してくれたのも先生方の無償の協力があればこそ乗り越えられた。
そんな先生方にお返しも十分にできていないと思うと心苦しい。さらに精進し力を蓄えることが大切だ。何をやるにも力の裏付けがなければ只のスローガンに終わる。 そもそも僕のアイデンティティー、嗜好性は役に立つ忠義の人と思われたいというのが強い。農家の環境で育った人間として、穀潰し(ゴクツブシ)とは、虫けらと同等と言う忌語である。これは父親が親戚中から呼ばれており、それへの非常な恐怖心がある。人の役に立てなければ穀潰しになってしまうという。(あの父親と同じと言う恐怖)
少なくとも心よりお世話になったと思う先生方には、育てて頂いた結果、甲状腺の世界で頑張っていますと言う姿勢をご紹介したい。そして先生方の課題を一緒に解決できる人間になった事を披露したい。そのためにもステップアップである。
「この人を裏切らないと心に決めた人との信頼関係は、何があっても死守する。難関にぶつかった時、その場から逃げ出したり、ごまかしてはならない。」

2023.11.15 No52

活動記録と反省①

診断と治療社で雑誌の特集についての打ち合わせを行う。こちらの資料が明確でなかった点(盛り込みすぎ・相手がやるべきことが箇条書きされていない・やらなくてよいことが記されていない)は検討を混乱させる事となった。
もっと明確な資料作りと事前の想定論議をしっかりと行って会議に臨むべきである。 あすか製薬メディカルとH.U.ポケットとのコラボ(LC-MSMS販路拡大→委託販売)についての段取りについては成果が出た。H.U.ポケットの意向に合わせたあすか製薬メディカルの品揃えに対しエビデンスを基に構築する準備(12月4日打ち合わせ)を行い12月5日のH.U.ポケットとの会議に臨む。
診断と治療社との仕事の場合、初めてのスキームを行う(AIを活用した書籍)ためにイメージが湧かず、手探り状態であったことがスムーズにいかない原因でもある。
他者へ自分のイメージを伝えることの難しさを感じると共に仕事のスピードアップに必要なことはより簡潔で分かりやすい資料作りであることを再認識した。

2023.11.15 No51

見城徹 語録⑪ 「1日の始め方と終わり方」

またこれも絶望させられる見城徹の生き方である。こんな生き方をしていれば日々充実し自己否定を繰り返し、際限なく成長するのであろう。それに引き換え自分はと思うとなんとも成長などありえないであろうと思わされる。
目覚めの一歩からの時間は非常に大切で、一日の行動を決める、情報を入手する、やる気を充実させる。そして寝る前の時間はその日の行動を反省し、出来ていないことや上手くいかなかったことに向き合い、反省・後悔しながら眠りに就く。こんな生活をしていれば夢見心地も悪く、熟睡できなさそうであるし、目覚めが最悪な気がするがそれを敢えて1年365日行ってきているのである。そして途切れない、その精神こそが素晴らしい。
まずは形からで、俺もそんな生き方・生活スタイルに少しでも近づくようにシステムチェンジを行ってみる。このブログは基本、朝に書いている。追加に就寝前に日々の反省を込めたブログを書くことにする。プランニングと反省、この両輪で自己検証し自己嫌悪に陥り、そして今の自分は堕落していっていることを認識し、自己否定する。このサイクルを回しながら成長し続ける。後悔の日々に耐えて成長する。
「朝は遅くても6時には目覚める。朝のスタートダッシュに勝負をかける。夜は365日会食だが、基本的には二次会へは行かない。今日という1日を悔い、明日へとジャンプするための態勢を整えるのだ。」

2023.11.14 No50

見城徹 語録⑩ 「自己検証、自己嫌悪、自己否定なき所に成長なし」

これは厳しい言葉だ、ここまでの意識で臨んでいるのか?勿論できてはいない。自己検証はやっても取組んだ姿勢と成果について自己嫌悪をするまで考えてもいないし、自己否定するまで自分自身を追い込むなんてとんでもない。それゆえに成長しないのである。何と言ってもそこまで自分を追い込む厳しさ、そういったモノが弱い。
俺はダメになっているという自覚、駄目になって行く事への恐怖を感じ取る、真面目な真摯な姿勢こそが最も大切である。頭で考えて、出来ない言い訳迄をも考える、そして自己検証が甘い採点になってしまう。ダメになることへの恐怖を感じ取れないのなら、麓のブタである。極寒の頂を生き抜く狼になるのだ。
「自分は今駄目になっていると自覚することは一つの才能だ。年齢を重ねるにつれて社会的地位を得れば、人間は誰しも慢心する。自分は駄目になってしまったと自覚し、自己評価を敢えて下げる。そうすれば、人はそこから成長できる。自己検証、自己嫌悪、自己否定がないところに進歩はない。」

2023.11.13 No49

見城徹 語録⑨ 「売れない本に価値はない」

ほぼ全ての企業は何らかのものを売っている。それが製品なのか、サービスなのか、情報であるかという具合に、そのものを相手におカネを出してもらって買ってもらっているのだ。
対価を支払っても価値があると、相手に思ってもらえるから売れるのである。ただ、どれくらいの人にそのように思ってもらえるかという事が大切である。やっては見たが少数にしか浸透せず、売れないのは客のレベルが低いからだ、などと嘯くのは誤魔化し、現実逃避である。
市場に物を出し、自分の評価を受けているという事実を真正面から捉え、最大限売れる方法に取り組むのである。そしてその結果を猛省するのだ。世の中のためになったとか、他人がやるより成果があったなどと言うのは自分の目標ではない。世の中に広く受け入れられて、初めて認知されたと言える。
結果は出なかったがよい仕事をしたなどと言う、自己満足の世界に浸るようなことがないように常に結果は数字で判断していく。そして、そもそも自分が到達したかった世界にどれだけ近づき、世の中の人は受け入れてくれたのかを真摯に受け止める。 「売れる本は良い本だ。売れることこそ最大の評価である」

2023.11.12 No48

見城徹 語録⑧ 「自分には何ができるか悩み抜け」

甘い妄想で自信過剰、自分を顧みる事もなければ何も悩まないであろう。そして達成できなかったのを他人のせいにしていればガキである。今までの人生はどうであったかと問われれば、1~2度そのような時期もあった程度である。胡麻化してきた時間が殆どである。嘘をつく場合に最も悪いのは自分に嘘をつくことである。
苦しいだけの道のりを永遠と突き進む覚悟を持った者にしか達成できない。自分に出来ることは何なのか?そして更にその出来ることを増やすための取り組みにどう向き合うのか?とにかく己を見つめることである。自分自身に厳しく、そしてやろうとすることに厳しく、その上での日々検証を行っていく事の繋がりが、いつの日か振り返ったときに成長を感じるであろう。
物事が成功するか否かはどれくらい真摯に向き合ったか、悩みぬいたかにかかっている。
こんなもんだという妥協では自ら目指す到達点には達しないことを自覚し、最後には頂上に立つことを思い、ただひたすら妥協せずに悩み抜くことだ。諦めない・誤魔化さない人間に俺はなる。
「僕も作家を志していた。しかし、書かなければ救われないマグマのような葛藤が内面になければ作家にはなれない。僕は編集者として彼らと格闘する事を決めた。」

2023.11.11 No47

見城徹 語録⑦ 「ひと休みなんかするな」

これも厳しい言葉だ。ゴールした余韻に浸り、苦しい時の事を思い出しあの時に諦めなかったからこの成果があるのだと自分を褒め、また他人に自慢したくなるものだ。使命感が弱いせいか、それとも承認欲求が強いせいか・・・、本当に自分がやりたい事であれば、そこにゴールはないはずである。常に前を向いて只ひたすら前進あるのみ、軍隊のようだがそういう心持ちでなければ何事も成就できないであろう。まだまだ全く甘い。
何者かになれそうな気持で臨んでもそう甘くない。何が何でも成し遂げるという精神、そのものが大切である。無理に持とうとするのではなく、とにかく内面に向き合う事である。
このブログを書き出してから、内面に目を向けることが多くなり、またその手の本も読みだした。そうすると、自分が大いに空っぽであることに気付かされ、嫌になる。見城徹の様な燃え滾るマグマなど湧いていない。知識は増えても精神が追い付いていないので空虚な時間が多いように思う。いったい何が俺のゴールなのか?
それが一番の課題だ。
「本が発売され、プロモーションが決定した時点で仕事は完了する。そして再び、ゼロから何かを立ち上げることに熱狂するのだ。ひと休みなんか必要ない。」

2023.11.10 No46

「再考(1) 自己検証、自己嫌悪、自己否定」

見城徹の言葉だ。自己検証、自己嫌悪、自己否定することは、留まらずに成長を続けるために大切なモノであるという。この根底にはどうしてもやり遂げたい、こういう風に生きたいという強く熱いものが心にあることが前提である。目指すべきことがフワフワしていれば、検証したところで安易に達成、嫌悪どころか良くできました、否定どころか花丸の肯定だ。自己検証、自己嫌悪、自己否定は方法論ともいえる。若しくは厳しさや心構えに近い、所謂ノウハウだ。
しかしながらゴール設定やなぜそれをやろうと本気で思っているのか、それが与えられた目標でなく自分で設定する目標であるのであれば、自分自身の魂がどれだけ熱く燃えているのか、やらずにはおれないとどれだけ突き動かされているのか、やらないことの敗北感・・・そんなものが自分自身を掘り返したときにどれだけ出てくるかである。
今一度何のためにやろうとしているのか、社会のためという事は綺麗ごとで、そんなものでやり切れるものではない。もし、やり切れる、たとえ苦しくとも何が何でもやり切れるというのであれば、その根本を「社会の為」という事で本当に最後の最後までやりきることへの原動力とすることができるのか?
本心は別にあり綺麗ごとでソーシャルビジネスなどと言っているのであれば、苦しい山を越えることなど出来ない。あくまでもソーシャルビジネスは対外的に説明するための手段の一つでしかない。その方法が達成するのに便利だという事で詭弁なのだ。本当の自分はどんな奴で何を成し遂げたいのか?安易に他人には見せられないものが心の奥底に仕舞われている。自分の場合は何か?
そこで思い当たるのは承認欲求である。サラリーマン時代に会社の方向性と自分はやり方が違うと良く感じていた。なぜあんな考えの人が偉くなるのか?俺は間違っているのか?俺には価値がないのか?俺の世界を具体化させろ!と言う感情が最も(?)深いところにあるように思う。自分の考えをソーシャルビジネスと言う名の下に展開しようとしているだけで、これも方便である。この言葉を根底に持ってくるのは対外的には良いが自分自身に向き合った時には弱い言葉であり、かつ何割か偽りが混ざってくるために強さが出ない。
君は本当に何がやりたいの?本を読めば感化され、方法論・情報は手に入るが、人格は変わらないしマグマは沸いてこない。マグマを噴火させたいのなら内面をさらに深堀することしかない。まだ見ぬマグマの深淵を。

2023.11.09 No45

見城徹 語録⑥ 「トレーニングで心身をいじめろ」

今日は耳の痛いテーマである。運動と呼べるのは週に2~3度行くゴルフの打ちっぱなしだけである。しかも1篭(50球)、これだけである。こんな運動でもやると確実に筋肉はつくのだ、たった50球打つだけだが。とても心身を苛め抜いてなどいないが。 歳を取るにつれ夜中に何度も起きるようになった。2時間おきに目覚め、運が悪いとそのまま眠れなくなり、リズムを崩す。日中ゴルフしたり、仕事でかなり歩いたりしたときには長めの睡眠が手に入る。連続して4時間以上寝たときには頭がすっきりしている。やはり運動は大切だ、眠れないとスマホを見ていたり、メリハリがつかなくなってしまう。
ヘミングウェイは61歳の時に自分の弛み切った身体をみて、ライフル自殺したそうである。
闘いに臨むのであれば、戦闘態勢の肉体を手に入れる事だ。疲れやすく仕事が継続できない様であれば圧倒的努力もできない。
体を鍛えている時に、何にも負けない成長していくぞと言う意思を磨く。
「No pain, No gain. 痛みのないところに前進はない。」

2023.11.08 No44

見城徹 語録⑤ 「結果が出ない努力に意味はない」

成果が全くでないという事はあり得ないが、その成果が当初目標としていたものに全く達せなかったという事は良くある。もちろん目標自体を適正にと言う名の下に低く設定するというのは論外であるが、見城徹 流に言うと誰のもできないことを目標に掲げ、それを圧倒的な努力で成し遂げるという事だ。
過去の自分を振り返れば未達であったことは多く「自己検証・自己嫌悪・自己否定」の精神が希薄であるがため、自己逃避・自己満足によってそのことを軽く考えていた。それがゆえに低成長、未熟であった。
行動に対する評価は市場が行ってくれるものである。成果が出るかどうかは圧倒的な努力をやったか、やらなかったのかである、言い換えれば自分自身の意思、行動結果でしかない。もちろん方法論が間違っていれば当然のこと良い成果は出ないが、それも圧倒的な努力で脳みそを絞り切ったらそのような陳腐なアイデアとはならないであろう。
圧倒的な努力、やるとは正直言い難いが近づくようやっていく事である。怠惰な生活を悔い改める。
「僕はよく女子プロゴルファーに言います。「その年、一番苦しい努力をした人が、その年の賞金女王になると考えたほうがいい」と。「あなたが35位なら、あなたの苦しい努力は35番目だったんだ」と。「結果がすべての世界なんだから、そう考えるしかないよね」と。

2023.11.07 No43

見城徹 語録④ 「他人が出来ないことをやれ」

私の仕事に置いての転機は1998年に産婦人科学会上で起こった。当時手伝いとしての参加であったが、企業ブースで診断薬企業の展示を見つけ「そうだ!診断が増えれば患者が増えて処方も増える」と言う考えがひらめいた。その場で名刺交換し、さっそく帰京してからその企業との啓発の話が進んでいった。相手企業も新製品の試薬を売り出し中という偶然も重なり、また非常にやさしい学会理事長の賛同を得て話は進んだ。これは当時、診断薬企業とのコラボで医薬品の拡販を行うというモノでは、ほとんど初であった。どこにチャンスが転がっているか判らないモノである。
それ以来、そのことが切掛けで検査に詳しい製薬会社社員となったのである。良く専門性の掛け合わせが大切と言われるが将に実感する。更にそのことは方法論として応用が利き、自分の専門領域以外の疾患についても展開できている。
自分の事で言うと[疾患知識]×[検査値式]×[営業力]×[利他的精神]が私の行動を構成している。こうなるともはや希少価値である。そしてそれぞれが100人に1人くらいの程度かそれ以下なのであるが、その掛け合わされて出来上がった私のアイデンティティーは日本で一人と言うレベルまでになっている。(あくまでも自分がたっているフィールドにおいてであるが)
見城徹が言う様に一度その境地を手に入れさえすれば交渉の道具にも使え、強みとなり、実際に仕事の質も上がってくるのである。また、そのことに取り組んでいる時や、そのための勉強は苦にもならず、やっている事、新たに知る事が面白くて、どれだけ時間がかかろうともまったく嫌ではない。追われる仕事、命令される仕事は面白くないが、これは自分の仕事と思える仕事はもはや仕事ですらない。生きがいなのである。
この時に自分の人生の可能性を広げられたのだろう。
「自分にしかできないことに取り組んで、結果を出す。一度、結果が出ると仕事は面白くなる。他の人でもできることをやってもしょうがない。他人が出来ないことをやる。辛いが、これが仕事の王道だ。」

2023.11.06 No42

見城徹 語録③ 「なぜ仕事に熱狂するのか」

人間は死に向かって生きている、その恐ろしさを忘れさせてくれるのが仕事だ。今を生きる事を充実させることが生きている証であり、死への恐怖を忘れさせてくれるものである。熱中するモノがあれば、この世を嘆くような事や、不平不満を抱えて生きる事もない。あくまでも副産物ではあるがお金もたまる。お金は新たな挑戦や家族・友人を支える原資ともなる。
そのことは生きているうえでも大切な事である。
自分自身の問題であるが、充実した人生は死の間際に己を振り返ったときにどう感じるかであろう。もっとこうすれば良かった、ああすれば良かったと思うのであろうがそれを減らす、後悔しないために今を精一杯生きていくのだ。
あまりこのような事を考えずに漠然とした人生を送ってきたが、高齢者の入口に差し掛かり、限界がある余命を感じるに至って寿命・後悔なき人生・大切なモノを真面目に考えるようになった。「降伏論」では今の自分は過去の自分が連れてきた場所だと言っている。将にその通りだ。では、自分が死ぬときにどう思うかは今の自分がどうするかで決まってくると言える。
「仕事とは、後戻りできずに、一方通行で死に向かっている虚しさを紛らわす重要な一要素だ。」

2023.11.05 No41

見城徹 語録② 「学歴なんか関係ない」

頭が良いというのと学歴が高いというのはリンクしているが絶対ではない。学歴が高いというのは、それはそれで一つの才能であるが、その事だけでモノが成し遂げられるという訳でもない。実際に高校中退の一流企業の社長がそうだ。
自分への厳しさ、そして相手への想像力この二つが非常に重要だと最近感じる。何はともあれ相手が納得しなければ話は前に進まない。正しいかどうかではない、飽くまでも相手の納得なのである。承認欲求の強いタイプは往々にして自分の正しさ、賢さで相手を折伏させると言うやり方が多い。もっともそのような上から目線は受け入れられることはないのであるが・・・。
見城徹は圧倒的な行動力は学歴(受験勉強)では培われない。心がこもって、情熱的なパワーで相手を圧倒する。そんな人が物事を動かせていくと言っている。
相手の立場や仕事内容も分からず小賢しい提案など門前払いも良い所であるし当然だ。誰もが出来ないユートピアを、圧倒的な行動力とアイデアで相手に披露する。相手が圧倒されているままにこちらのペースで、全てお膳立てした中で嵐のようなスピードと破壊力で物事を進めていくのである。阿修羅王が如くだ!
「GMOの熊谷正寿も、ネクシィーズの近藤太香巳も高校中退だ。学歴は一つの物差しでしかなく、仕事ができるかどうかは全く別の問題だ。」

2023.11.04 No40

見城徹 語録① 「何かに入れあげなければ天職には出会えない」

今更ながら気付いたのは、自分自身が変わらなければ何も変わらないという事だ。ただ変わろうとするモチベーションを強く持つ、継続させるというのは難しい。安易に流れ、今までの生活を繰り返しがちである。
見城徹の「たった一人の熱狂」を読んで影響されたが、より嚙み締めてそのスピリッツを自分のものとするための儀式として、この本の57のエッセイを毎日1つ読み直し考える事とする。その初日が今日である。
天職とはその場にしか居場所がなかった、逃げ込んだ先が天職であったと見城は言っている。しかし、その他の職でここは俺のフィールドではない。「自分の内なる声に耳を澄まさなければ駄目だ。」とあるように常に内省、本心を偽らないことが大切なのだ。
天職を見つけるという事は自分を見つめて、自分には嘘をつかず、生きていく事のできる場所を探す、その先に見つかるものなのだという事に気付かされる。そして自分自身の価値観、物差しを見つめなおし、何をやりたいのか、突き動かすものは何なのかがなければ敵わないことだ。自分の心を奥深くまで見つめるとひょっとしたら何もない空っぽかもしれない。ただ怠惰なずるい人間かも知れない、評論家。
何になりたい、何がしたい、何のために生きているのか、そのために生きている、そしてその居場所が天職だ。

2023.11.03 No39

「サグラダファミリア」

全くの聞き耳情報の程度あるがサグラダファミリアは終わりのない?建築物で19世紀後半から現在に至るまで中止を挟みながらも建築が続いていると聞いている。まったく詳しくないので間違っているのかもしれないが、ガウディの意思が引き継がれているという事、観光スポットとなりその地域の人々の生活を支えているという事、これは称賛に値する。
甲府に旅行に行ったとき「信玄公 屋敷跡」の前でお土産として信玄餅を売っていた。江戸時代からだそうだ。信玄亡き後名を残し、ゆかりの地を訪れる者に300年以上売ってきたのである。これを商売に生活してきた者は代々に亘って、たった一人の英傑によって世継ぎが出来たのである。
見城徹の「たった一人の熱狂」は大いに魅了される。何を承認欲求に惑わされているのかと我が身を叱咤激励し間違った価値観にとらわれる事のないように、自戒を込めて今日は書いている。
良書に触れ感化されるが本当に行動に移すのは中々、思うようにはいかない。こうやって意識高い系の言葉をつづり自分を追い込んでいく作業が必要だ。
いつの日にか、俺の「サグラダファミリア」を創るぞ!

2023.11.02 No38

「不毛 肯定の旅」

人は様々、歳を取ればとる程に人生観・尺度・目的・好みは多種多様となってくる。そんな中、自分自身の判断基準で生きていると俺は正しい、これはこうあるべきだ、そしてお前は間違っている、という事を言いたくなってしまう。こういうところこそが老害なのであろう。若くても同じように思う事もあるが、まだ多少は相手を理解する、若しくはそういう生き方もあるなと思える。しかし、歳を取ってくると考え方が違うと言われれば生き方を否定されるように感じ、過剰に反論してしまい、相手を否定してしまうのである。
自分の事を相手に肯定してもらおうとする、それをお互いにやるので双方ともに段々と気まずくなり、食事も酒も不味くなる。会わなければ良かった、無駄な時間だった、金が勿体ない。歳を取れば会う人間を選ぶのは大切かも知れない。
どう生きて、何をするかは自分自身が決めて納得すべきもので他人に肯定して貰い、況してや褒めてもらうべきことでもない、あくまでも自分自身の評価、肯定を貰うべき相手は自分自身、言葉でごまかすことが出来ない世界である。出来たか出来なかったは己が一番よく知っている。自己評価・反省である。
もうやめよう他人から肯定を得るのは、グッドボタン、イイネ評価の数を競うような事は。
それよりも自分で建てた目標にどれくらい近づいたのか、老い先短い者にとって時間というモノが一番大切なモノだ。残された時間は少ない、他人から肯定される事は正に不毛である。さらば「不毛 肯定の旅」である。

2023.11.01 No37

「種蒔き・水やり」

昨日は朝から縁起が良かった。テレビの星座占いが1位であった、ただの縁起担ぎではあるがやはりいいことがありそうで気分が良い。そしてその日のビジネス交渉は非常に良いもので終わった。新たな展開がスタートした瞬間である。従来から関係良好な相手でもあり、提案した内容も妥当でかつ相手にとっても労働以外に負荷がなくても展開できるものであったので、快く引き受けてもらえた。こうやって仲間が増えていく事でアイデアと言う種が、合意して一緒に取り組むという事で発芽し育っていく。これからはこの会社と少なくとも1年間は一緒に係っていく事となる。そうしてその取組が新たな仲間を増やし、この小さな芽が育っていく事は楽しみである。
そして今日また、この芽に対して興味を持つ会社が現れた。こちらも日ごろから仲良くやっている会社である。この会社との構想ではさらに発展した形で大きな仕事に(まさにビジネスチャンス)今までにない仕組みを構築する取り組みである。
本当に仕事は信頼・仲間というモノの中で花開くものだと感じる。種蒔き・水やりを欠かさずビジネスチャンスをものにしていく。

2023.10.31 No36

「小さな仕事から大きな仕事」

どうもインパクトの小さな仕事をしていると、浸透していないせいで色々な齟齬が起こる。どういう経緯で始まったかを知らない、背景を知らない、そのためにまた一から経緯を説明しなければならず時間がかかる。別々に説明するので解釈にずれが生じる。巻き込む人数を多くすれば良い訳ではないが効率が悪くなる。会社の部門間の目標が異なる、部分適合が全体適合となっていない。良くあることではあるが。
それはそもそも「小さな仕事」をしているがためである。会社の将来に大きくかかわるとまではいかなくとも、部門、部署の基本方針に係ってくるような事であれば自ずと注目され、こちらから説明をしなくとも意識が向けられ、活動や取り組みは理解される。
勿論小さな仕事を否定しているわけではないが、影響度の大きい課題に取り組み少人数で始めることが出来れば、スピードも速く、聞いていない・知らないという社員は減って余計な労力を使わずに済む。大きな成果に向かっているという事が大切だ。 これからの仕事はプロジェクト化し成果が単純にすごいと思えるようなことを目指す。
「小さな仕事から大きな仕事」への意識が必要である。

2023.10.30 No35

「猟犬と狼」

サラリーマンは定年・役職職定年と言う名の下に狩場から追い出される。また異動と言う名目で他の狩場に向かわなくてはならないこともある。望んでいないのに・理不尽にも。更には嘱託にでもなると狩場にすら立てなくなる事さえあり得る。お役御免の引退時期だ。
見城徹は「豚として安寧な生き方でなく飢えた狼になれ」と言っている。自分なりに解釈すれば餌をもらっていれば自由はなく、自分自身の責任で狩れば自由はあるが安寧ではない。それが世の中というモノであるが、自分の人生を自分で決めて生きていきたいならば、狼となり餓死をも覚悟せよという事だ。誰にでも引退はある、退場せざるを得ない時が来る。しかしその引導を他人に渡されるのでなく、自分の意思で決めたい。最後の最後まで自分を信じて狩場に立ち続けたい。
三浦知良、誰もが知っているサッカー界のスーパーヒーローである。驚くべくに現在56歳で現役だ。
全盛期に比べパフォーマンスは落ちているであろうが、明日の自分を信じてピッチで猛練習し、未だに狩場に立っているのである。圧倒的な努力を50年以上続けているのだ。
たとえ飢え、倒れる時が来ようとも猟犬となり自分の人生を生きられないのを怒るくらいなら、私は荒野の斃れる覚悟をもって飢えた狼として生きていく。

2023.10.29 No34

「羽ばたいた君の成長」

以前の会社に途中で転職していった営業担当者がいる。特に優秀で色々と教えていた。特定健診がスタートした20年ほど前に、これから時代が変わるし内科医師への情報提供として勉強したほうが良いと勧め、見事にエリアの先生方の情報源として重宝され、また頼りにされた。信頼度の構築に成功したわけだ。当時の事業所には10名以上の営業マンがいたが彼と同様に取り組んだ者はいなかった。仕事への姿勢である。その彼は大手外資に行き、全国に10数名の営業所長に任命され、さらに全国1位であるとの事。成功する者はそもそもの姿勢が違っているという事か。
その彼とこの度、一緒に仕事をしていこうかという企画を立ち上げている。到底、彼がいなければその外資とコラボするようなことはあり得なかったが、やはり仕事というモノはコラボレーション、仲間内で回すという事に尽きる。表面上の付き合いではこのようなことはできないであろうが、信頼関係の上に仕事が成り立っているというのを実感する。
今まで知識として知っている事を実感として感じることが多くなってきた。前向きに仕事に取り組んで、ブログを毎日上げる事で仕事の深堀が出来ているからそのように感じるのであろう。羽ばたいて、成功しているビジネスパーソンの姿を見る事は素直に嬉しいし、また一緒に仕事ができるのは楽しい。羽ばたいた君が成長すればこそだ。

2023.10.28 No33

「仕事色々」

サラリーマン時代から今日にいたるまで周りの働いている人を見ると忙しく仕事をしている人が多い。会議・打ち合わせ・報告書作成・資料つくりと皆、実に忙しいのである。翻って我が身はどうかと言うと、相変わらずビジネスドリームを妄想して、まるでお絵かきするが如く、グチュグチュと白紙の紙にプラン(頭の中身)を書きなぐっている。楽しいことをしているので忙しさはあまり実感しない。それにその場所は喫茶店かファミレスで、喫煙しながらというのが多い。
仕事はいろいろであるが楽しい仕事の条件の一つは、追いかける仕事、自分自身の意思で取り組めるというのが大切である。やらされている仕事は労働だ。他人から言われての仕事はやらされている感が強く、モチベーションも上がりにくい。
出世とは部下が多くなることで、そうすると大きなプロジェクトを行えるがその反面、管理と言う仕事が増えていく。まさに会議・打ち合わせ・報告書作成・資料つくりと言った仕事だ。ゼネラリストになる程に仕事の楽しみを実感するのが減少してくるのであろう。
その一方、スペシャリストは出世しにくい、権限を持てないという不満が溜まりやすい。
思えば私の現状はスペシャリストの個人店であり、私が扱っている商品を企業が買いに来る、もしくは売りに行って取引が成立している。安定のない不安定さはあるがやっていることはシンプルでやりやすい。それにしても仕事はいろいろだ。

2023.10.27 No32

「ビジネスモデル」

新たなビジネススタイルを考えるのは楽しい。今は某企業の女性関連でのビジネスモデルについて構築中である。「女性の健康」は注目度が高く、国としても推奨しているうえに何と言っても女性自身に興味が高いという状況である。健康経営の推進、女性の労働力強化、かなりフォローの風が吹いていると言える。何か上手く嵌るモデルが出来れば一気に進んでいく条件がそろっているのである。こういう時こそチャンスだ。
そこでこれらを展開するプラットフォームを作れれば、その中で製品の紹介や啓発を行う事で販促・市場拡大できるのである。そしてこのプラットフォームを通じて販売した場合には売り上げの1%を頂くという「1%ルール」を展開する。1社1社では数百万から大きくても数億の売上しかならないであろうが、複数社集まり総売り上げが100億となれば収益は1億となる。これを学会・協会・企業の産学共同体の中で展開していく。今交渉中の某企業にしても産婦人科領域で生き残りをかけていることもあり前向きである。
コネクションとアイデア、そしてスピードと多動力、これは新たなビジネスモデルを展開するには必須である。

2023.10.26 No31

「居場所」

昨日、久しぶりに山本さんとの会食であった。私と同様にスペシャリスト人生を送っている先輩である。同じ甲状腺の領域で私が内科・診断、山本さんは外科・RIである。2人で甲状腺領域を網羅すると言えば聞こえは良いが、要するに半端者(2人で一人前)同士とも言える。
彼は甲状腺以外にもプロであるのが私と違うところで、それは音楽活動である。いろんなライブで演奏、しかも招待されてのギター演奏だ。
驚いたことにギターをマスターした経緯がスゴイ。小学生の時に商店街のポイントが溜まり、その景品としてギターをゲット。それから独学、しかも独学と言っても今から55年前の1968年、昭和43年である。しかも田舎。周りにギターの弾き方を教えてくれる人もいなく、楽譜やギター入門書的なモノは本屋に売ってない。中学時代に都会の本屋で見つけ「こんなモノがあるのか」と早速購入したそうである。それからの猛勉強、好きこそものの上手とはこの事である。
人生を通してやれることは限られており、それが仕事であったならば自営業でもない限り他人によって終了させられる。退職だ。自分で意図せずライフワークを終了させられることなく進める事の出来る人間は恵まれている。それをやりたいと思う気持ちとそれに正直に向き合い生きていく事の大切さを感じる。打算ではこのようには生きられないであろう。
自分の居場所を持てる人生は最高だ。

2023.10.25 No30

「ビジネスロマン」

記念すべき30回目、毎日投稿で1か月たったと言うのは我ながらの快挙である。自分の今までの飽きっぽい性格からすると珍しい部類に入る。そして未だブログを書くことに倦んでいない。この2か月でだいぶ変わったと実感する。「降伏論」との出会いは大きかった。
さてビジネスロマンであるが、これもこの2か月の変化で手に入れたとも言える。そもそも熟考型ではあったが、手数が少ない多動でないことからスピード感がなく各方面への絡みが弱かった。その結果、ビジネスへの成果が単発で広がりが弱かったのであろうと反省している。
手数・多動・仲間、成功へのチャレンジには必要条件である。手数・多動と言っても以前に比べて多く仕事をより多くしているという感覚はなく将に楽しんでいる。意思決定の速さ、広がりの大きさなどが成功要因と感じている。
今取り組んでいるのは、女性の健康:健康経営を柱に各企業の仕事をやり易くするための提案・代行である。少しずつ興味を持つ企業が増え、柱を肉付けしてきている状況である。実際の成果はまだ先の事であるが、自分の考えたビジネススキームに企業が興味を持ち、共に検討すると言うのは面白い。何と言っても相手の人間に後ろ向きな人間が少なく仲間として優秀である。況してや相手の予算で展開し、新たな顧問契約にまで繋がるのである。これがサラリーマンであればアイデアを稟議書で通しているうちに、その旬を過ぎてしまうのであろう。そもそもアイデアが稟議を通過しない可能性は99%である。
オリジナルで今までにないプランを異種の企業と共に協力し合い、ニュービジネスを展開していく、しかも手作りで!設計図を描き、建築をし、内装・外装まで携われる。楽しい時間を過ごしている。ため息が出なくなるわけだ。
しかしこういう時にこそ気を付けなければと言う恐怖もある。知らないうちに慢心するのだけは高転びの元だ、ただひたすらストイックに没頭する事だ。

2023.10.24 No29

「退職後の仲間 楽しいひと時」

人生を豊かにするのに欠かせないのは友人であると言われる。学生時代はどちらかと言えば深い友人もなく、社会に出ても趣味の世界もない人生を歩んできた。知り合いはいても友人と呼べる人間はいない。友人と改めて定義すると「こちらは友人と思っているがあちらはどうか?」とか考えてしまう。友人かどうかはわからないが、会って食事し大いに笑えるというのは大切な要素であり、楽しい時間である。そしてプライベートな近況を報告しあい愚痴もこぼせて、良いことがあれば祝ってあげられる。そんな時間がいかに大切であるかを最近実感している。常とは違う世界を持てていることは幸運である。
昨日も一回り以上下、2週間前には二回り下の人間と会食したが大いに食い・飲み、そして笑った。当方も年なので昔話が多くなってしまうが、「俺はこれから、こんなことをやるのだ。まだ誰もが取り組んでない、未開の地を踏破する。俺の事は芝浦の龍と呼んでくれ」と活きのいいことを言いながら、時には誇張しビジネスロマンを展開するのは楽しい。
それもこれもお金と仕事があるからこそである。そのことがなくなれば、その楽しい世界もセピア色をして昔話となってしまうのであろう。

2023.10.23 No28

「新たな船出の準備」

お世話になっている人が来年3月末で定年、それまでの職場、その他の公式の役職から離れる。まだまだやれると思うのは当然であり、その日を境に前〇〇〇となってしまう。過去の人に追いやられてしまうのである。第一線で頑張って、指揮を執ってきた人間からするとそういったことは、恐怖に似た感じであろう。不安、自分のアイデンティティーが消滅してしまう気さえする。居場所を追い出されるのである。
今まで責任者としての判断で反感や異論を感じていたアンチは少なからずおり、この日を境に表面化(陰に陽に)してくる。そんなことは気にせず第二の人生を歩めばよいであろうがそうとも行かないのがヒトというものだ。
理念の対立、目指していたものを引っ込めるのでなく手放した足場を自らの手で再構築しなければ、そういった勢力に目をそらしながら生きていくしかない。それは自分を誤魔化して生きていくという事のように感じてしまう。それぞれの考え方があるであろうが前線で戦い、信念のもとに号令をかけ、信じる道を進んできた身にとっては耐え難い。
前〇〇〇、元〇〇〇、名誉〇〇〇と言った称号に甘んじる事無く、現〇〇〇で戦い続けることが大切と信じる。

2023.10.22 No27

「組織が生み出す悪の構造」

リーダーには時代にマッチした理念があり、それが故にヒトやカネが集まる。その求心力をもって時代に呼応する様に進みながら大きくなっていく。リーダーには時代に応じた理念がありそれを基に展開するが、その時に弊害が起きてくるようだ。ビックモーター、幸福の科学。利益追求・目標達成に向けた中で無理にでも達成させようとする、達成しなければ存在価値がなくなるような圧力がいびつな世界を生み出す。理念は正しくともそれをなすための手段が邪道となり、正義を追求する途中経過が悪となり、目標達成に向けた活動が歯止めのかからない悪の暴走列車となってしまう。これは組織のあるところには大小関係なく存在しうるもので、リーダーの目が届かない、判断に迷い過ちが更なる過ちを生む。
良くビジネス本などに「迷った時には常に理念に基づき判断する」と書かれているが、その様な先人たちは「迷った時には常に目標達成に基づき判断する」と言ういことだけでは心ならずに誤った方向に進んでしまうことがわかっているからだ。そして組織とはいろんな個人がいろいろな感情や背景を基に所属しているので理念で繋がらなければ道を違える。
目的の為に集めるのは容易であるが理念で人を集めるのは難しく、むしろ受動的に気付けば仲間が出来ていたという事が正解に近いのであろう。
過ちを犯さないための条件である。

2023.10.21 No26

「生き残りをかけた挑戦 出版」

YouTubeを見ていたら「活字離れと言われるが、そんなことはない。なぜならスマホ・パソコンと文字ばかり追っている。紙の活字だけが衰退していっているのだ。」と言う展開であった。確かに文字は一昔前に比べて読まなくなっているわけではない。新聞はスマホニュースで、雑誌や本はスマホ・電子図書で調べ物は辞書でなくググっている。相変わらず文字を読むこと自体が少なくなっているのではない。より安価で簡便な伝達方法を文字情報は手に入れたのである。町の本屋が8000軒程度と半減した、新聞の購読者数が大幅ダウンしたと言われるが、情報を閲覧している人数や時間で言えば逆に増えているのではないか。
但し、出版不況である。本の価値とは何か?情報を入手するには効率が悪い。体系的に勉強するには向いているが、必要な情報を調べるには探し出すのに手間がかかる上、アップデートが遅い(その都度に買いなおす必要がある)。ではよい所はと言うと、先ほども触れたが全体像の把握というのもあるし、読後に飾って置けるというのが案外に良い。一連の読んだ本を並べ、これだけやったという自己満足と安心、このシリーズを読んだという感慨。小説などは主人公、作者の心に触れた気になり至極満足感に浸れることが出来る。つまりは自己満足の世界。
そうであればこそ、多少高い金額であろうが購入するというモノ。
医学書では最新情報が掲載されていることも条件であるが、卓上にこの本があるという安心感、この本があるから一流・専門家・前線の医師であるという勲章的なモノであれば、購入した医師が本を眺めて自己満足するであろう。それも日々の診療を勇気づける大切なアイテムだと感じる。
そんな本を出してみたい。過去に何度か本作成の機会を得たが、やはりテーマが時流をとらえ課題解決を提唱出来た本は非常に好評であった。そして先生方の診療が変わった。生まれてきて良かったとさえ思えた。今また、大きなチャレンジに向かって真剣に考える時が来た。

2023.10.20 No25

「強くなければ生き残れない」

スケールメリットで生き残れる時代ではない、強くなければ生き残れない。労働者でも同じ事である。多くの時間労働しやっています的な感じを出したところで、他がやれない成果を出さない限り淘汰される。今のように流動化してきて、経営者側も必要な人材をヘッドハンティングする。まさにサラリーマンに価値がなければ生き残れない。賞味期限が短くなってきた。単純労働か経営者側に回れるのかの境目が際立ってきている。企業とて同じである。
強みがなければこちらから出かけ、胡散臭いと思われる中で説明し、理解されても金銭が絡んでくると途端に警戒される。とにかく時間を食うし、効率が下がってくる。 常に強みを創り続けることが賞味期限を延ばすために必要な事であり、仕事を進めるにあたってスピードアップにつながる。相手から来るのとこちらから行くのでは大きく違う。
コアとなる強みとはMETにとって何なのであろうか?今までアイデア・コンテンツの良さと思っていたが理解してもらわなければ前へ進めない。分かりやすいのは後ろ盾と過去の成果、仲間の力である。
目的に向かって最短で進みながら、行動自体が多方面に繋がって更なる成果を出すための礎になることが強みを作り上げる事に重要である。
「仕事は仲間内で」と言うのを信じている。確固たるコネクション造りに取り組む。

2023.10.19 No24

「承認欲求・マウントの世界とその境界」

どうも承認欲求・マウントをやってしまう。どうだと言わんばかりに相手には映るであろう。
昨日の事である、後輩の事を酒の肴に「アイツは承認欲求が強く、仕事で見返してやろうと思い過ぎだ。今のままで自分が納得する未来が来るとは思えない」などと飲みながらプチ盛り上がった上に、さらにお節介な事に解決策はこうだ!とは・・・ 目覚めの悪い朝である。
そう言う自分自身は定年退職・起業でどうだ!これはこうすべきだ!人生はこうで、俺はこんなことをやっているのだ!将に聞かれもしないことを得意げなマウント・どうだ!凄いだろうと承認欲求。私と会って話しても面白くないであろう。年寄りの自慢話か!昔話でないのがまだ許せるとしても全く不愉快であろう。
謙虚に生きる事を言っているのではない。承認される事・マウントする事を目的として仕事をしているわけではない。まして他人からの評価とは関係のない立場、評価されるサラリーマンではないのである。まったく無駄な・生産性のない・反感を生む行動である。
ただその境界線は曖昧で油断するといつの間にか承認欲求・マウントの世界に入り込み、気が付けばシラケタ場で自分だけが悦に入ってしゃべっている。振り向けば一人。
このことを意識して何か短い言葉で自分自身に戒めを持っていないと治らないのだろう。
「虚構の世界の住人になるな」である。

2023.10.18 No23

「力を見せる」

企業という後ろ盾のない立場で仕事していると、自分の実力や忖度ない相手の気持ちが態度となって現れる。連絡しても返事がない、面談しても上から目線、それらがなくとも警戒感丸出しである。当然の事なのだとわかってはいるが癇に障る。 それは軽く見られている、取るに足りないモノだと判断されているのである。強くありたい。
一目置かれる、何者も従わずにはおれない確かなものを持っていない自分に原因があるのだ。その様なモノは簡単ではないが、それを手にしなければいつまでたっても現状は打開されない。ただの理想を言うだけでなく、安藤広大の「数値化の鬼」「とにかく仕組化」をベースに何を作り上げていくかを今日中にたたき台を出す。今日中だ。
それと同時にこちらの態度にも反省すべきところがないかを考えてみる必要がある。とにかく横柄な態度と言うのはシャットダウンされる元である。あまり考えこまずに後ろ盾のない者が、アプローチしても真面目には接しないであろう。
相手にされなければ何事も進まず、進まなければ成果も出ない。そのような状態を生み出しているのは過去の自分であるという事を心に刻み何をすべきであるか、何をやめるべきかを明確にして実践していく。

2023.10.17 No22

「スピードアップの実感」

当ブログも22回目を執筆している。1日1話なので初めてから22日目である。これを書き出そうとする約1か月前から、いろんなビジネスYouTubeに触発され本を読み始めた。安藤広大、高森勇旗、箕輪厚介、見城徹、堀江貴文、星野佳路、マイケル ポーターなどである。精神と実践を学んだ。
考え方が変わったというよりも、どのように感じるべきか、どう捉えるべきか、という事が変わった事で行動が変わってきた。そして僅か2か月程であるが、その成果を実感している。まずは仕事が早くなった。規律が出来た。先延ばしせずスピーディーな対応で進展が全く違ってきている。以前であれば1か月の仕事が1~2週間で結論が出ているので、実質の処理能力は4~5倍になっていると感じる。
63歳と半年、残されている時間が少ないことを日々意識させられているが、4~5倍のスピードであれば1年が4~5年となる。更に10倍を実現すれば1年は10年、3年は30年、5年は50年、10年は実に100年となる。今まで生きてきたサラリーマン人生と匹敵する長さだ。残された時間が少ないことを嘆くのではなく、スピードアップしてより濃い人生を駆け抜けていこう。
100年あると思えば残された時間はほぼ永遠である。
とにかく、スピード・多動力・集中でこれからの自分の時間を作り出していく。

2023.10.16 No21

見城徹と言う絶望、多動という希望

見城徹の「たった一人の熱狂」「読書と言う荒野」を読んだ。到底敵わない、まったくもって資質がないことに気付かされる。内なるどうしようもない魂の揺さぶりが無いのである。
根源がない所にエネルギーは沸いてこず、真似事をしたところで長続きはしないのである。
見城徹の様に深く悩み、考えたことも、向き合ったこともなく上面で見たり、目をそらしたりしているうちに豚に育ちあがったのである。まさに今までの自分のなせる業だ。やっかいなことに内面が育っていないので心の炉にある火種は弱く、大きな炎を巻き上げる事もない。また長続きしないのである。
心の奥底から突き動かされる情動を作ることは難しいが、行動を変えていくというのは可能だ。今までの悪癖(遅い・ぬるい・場当たり的)を変えるのは考え方を変えるという事でできる。心を変えるという事は難しいが考え方・行動を変えるのは可能である。多動力である。成功の確率を上げるのは能力であり、能力を上げるのはなかなかにすぐにできる事ではないが、行動量を上げ成功数を増やすというのであれば簡単である。行動量を増やしさえすればよいのである。
どうしようもない後悔、取り返しのつかない怠惰な人生、言い訳をして成長を怠った誤魔化しの人生が今の自分を作っている。63年使ってたどり着いた現状を変えるにはまずは多動力で取り掛かろう。そうすれば何か違ったものが見えてくると信じて。

2023.10.15 No20

義理・人情・恩義の世界

ビジネスの世界でコスパやタイパ、ギブアンドテイク、外注化、利益最優先などというモノは当然でありそのことを中心にした啓発本・セミナーは多い。当然でありこれらはそれこそビジネスの入り口・当然のスキル・前提条件である。しかしながらここから先に踏み込んでいくのにはそれらだけの延長上にはない。決裁者の権限であることに踏み込んでしまうと(大きな案件であればあるほど)当然、役員・社長の判断となる。長期のビジョン、大きな投資額、新規事業となると、どういう風に判断するかは決裁者の感情・感性・指向性・経験によると言える。
一般的なビジネスの関係はクリアーしているのは当然であるが、そこから先がポイントとなるのであるが、そのことに触れるモノは少ない。これらの人と癒着するのである。
一流のビジネスマンや上位の役員、社長にとっては、当然であるが世間一般の言う癒着などは通用しない。なくてはならない存在になる、助けられた、頼りになる。義理(不利益があろうと裏切らない)、人情(利益最優先で全てを決定するわけではない)、恩義(相手から頂いた配慮を忘れずに返していく)この3点を意識して行動の根幹に置き行動する事は、将来、大きな仕事を取り掛かる上での必要条件となる。
義理・人情・恩義でより高位のビジネスマン・オピニオンに信頼を得て、助けを得て大きなビジネスを展開していく。

2023.10.14 No19

「己の人生を生きる」

欺瞞に満ちた人生を生きてきた。社会の為、相手の為と自分のやっていることを理由付けして生きてきた。純粋な理想を掲げ、献身的な姿を演出する事で自分自身をきれいに見せる。
何と薄っぺらな逃避の姿勢であろうか。もっと内省し、やむにやまれぬ藻掻き苦しみというモノから逃げていた。いや誤魔化してきたのである。
そんな誤魔化しも、今日、たった今からオサラバだ。何のためにそれをやるのか?すべて自分がやりたいがためだ。そして、自分が突き進んだ道が結果的に相手の社会の為に役立ったというだけである。そもそも、それをやりたくて、自分で選んだ道なのである。
よく、ソーシャルビジネスと言い、社会のために自己犠牲しているかのような事を言っていたが、そもそもそこにビジネスを感じ、それを回したいと思ったのは自分自身であるにも関わらず、さも社会の為、相手の為と己を正当化しなければ前に進めない、綺麗に見せたいという偽りの中に曖昧さが紛れ行動は弱くなる。全ては社会の為と言う欺瞞は捨て去り、全ては自分の為、自分がやりたいからやるのであって、他人の為では決してない。心の中に大きな塊をもって生きていく。
自覚なき人生が薄っぺらな、軽薄な人生となり、希薄な人間を作り出す。これから全ては自分がやりたいことを行動する自覚を持った人生を生きる。

2023.10.13 No18

「たった一人の熱狂」怖い本だ!

あっという間に見城徹の「たった一人の熱狂」を読み終わった。怖い本だ。そんな生き方で満足しているのか、ひり付く現実の中で生きろ!どうせ人間は死に向かって生きているのだ。そして死ぬ間際にどう思ったことだけが真実だ。自らの血を流し、返り血を浴び、そしてその血に染まった旗を高らかに掲げよ。過激な言葉に彩られた文章が次々に体の中に入りこんでいき、少しずつ精神が薄黒くなっていく。
全てを内包した中で心の奥深く、絶対なるマグマが溢れんばかりに燃え盛る。そんな精神状態で常に自分に自己否定と自己嫌悪を基に自己否定して生きていく生き方。そんな生き方を青春時代から老年期迄ずっと続けて生きている。とても耐えられない、精神を保てることがスゴイ。
何気に過ごしたきょう一日は、昨日死んでいった人たちが生きたかった明日なのだ、と言う言葉は心に響く。

2023.10.12 No17

「圧倒的努力」

YouTubeを見たり、ビジネス本を読んだりすると良く出てくる成功の秘訣は、圧倒的努力・多動力・手数の多さであるとするものが多い。○○〇理論や上手く立ち回るコツ的なものはどうも薄っぺらな気がしてきた。成功確率などはそんなにあげられるものではなく、とにかく手数で成功を積み重ねることの大切さを教えられる。1/10を2/10にするのではなく20回やってみるという事だ。若い時には回数でカバーし、ベテランになると確率を上げる事に意識が向くが、それが評論家への入り口ともなりうる。圧倒的な手数でチャレンジ数を上げ、その中から成功体験を積むことで理論も確立されていく。
最近これらのインプットが増え、見えてくる世界も変わりつつあり、実際に行動も変わってきているのを自覚できている。自分に満足・これで俺は正しいのだという感情が自分の成長を止めていたのを、今になって感じる。見城徹の「自己検証、自己嫌悪、自己否定なき所に成長なし」と言う言葉に触れ、自分の限界を作っていたのは安易な自己肯定であったと思いいたった。高森勇旗の「降伏論」では現状は過去の自分が連れてきた姿であるという言葉。そこに至れば、自ずと謙虚な姿勢になるのであろう。今までの自分はまさに不遜な態度であり、傍から見れば滑稽なピエロのアマちゃんだ。恥ずかしい。闘う男になっていく!

2023.10.11 No16

「そう言えば溜息が減った」

サラリーマンを定年退職し起業してもう4年目となる。もう4年になるのか、来年は5年の節目だと思ったのを切っ掛けに、何が変わったのかと思っている時にふと、そう言えば溜息をつかなくなったことに気付いた。サラリーマン時代、チョットした時、自然とはぁ~と本当に無意識に出ていた。多分、5分に一度くらいの頻度であったと思う。実に周りには迷惑であったであろう。常に体はだるく、寝起きから疲れており、通勤の満員電車でさらに疲れ、会社に出社した時にはHPは僅かしか残ってなく、更に指示された仕事が面白くない。
全くモチベーションが上がらない。そのくせ遅くまで会社に残りやっています感を自分勝手に出し、土日も仕事して俺はやっているという事で自分を肯定しようとしていた。被害者意識もあり、多分メンタルも少しやられていたのであろう。
環境が変わり、思い起こすことが出来、初めてあの時は間違っていたことに気付く。高森さんの本「降伏論」にもあるが、一所懸命さに逃避していたのであるが、当事者では全く気付くこともなく、正当性だけ信じ聞く耳もなかった。
自由に自分の思う仕事をやれる環境となり、体調も良く、自然と溜息も減ってきた。 このことを嫁に話すと、昔は貧乏ゆすりがひどかったが最近はめったにないとの指摘も受けた。やはりどのような環境で仕事をするのかと言うのは本当に大切である。
追われる仕事、追いかける仕事、同じ仕事であっても夢に向かって追いかけていく仕事は嫌なストレスは少なく、何よりもやっていて楽しい。こんな環境に身を置けることに感謝し毎日を生きていけるのは幸せである。嫁ちゃんに感謝。

2023.10.10 No15

「育成と転職」

最近の転職ブームは定着し、ブームではなく当たり前の事となってきている。その背景にあるものは何であろうか。成果主義が導入され久しいが、その反面、年功序列的な部分もいまだに残っている。特に降格できにくい(やってきていない)ために、余計に上が詰まってくることも関係している。定年延長が導入され、副業が認められてきているがこれは老後資金・インフレ・先行きの不透明感に加え、AIに職を奪われるという恐怖。失くなる仕事シリーズは雑誌で特集され、また本の出版、動画などの再生数も伸びている。そして企業側から見ると、業界の変化は速く、これは世界情勢の不安定さ、コロナ、AIの進歩の速さに基づいており、ゆっくりと社員を育成すると言う訳にもいかないのであろう。5年・10年先の世界を想像できないのにどのような社員を育てるかは決められないであろう。
そういう意味では、○○が出来れば出世できるというよりも、ポテンシャルが高いという人が重宝されるのであろう。
では、どの方向性のポテンシャルが必要なのであろうか?専門性と柔軟性・コーディネート力、複数の掛け合わせで対応出来る能力と言うのは貴重だ。これからは突然に何が起こるか判らない、予測がつきづらい時代である。そういう意味での予見性、先見性が大事だ。
この様な理想の人材をどんどん育成できると良いが、そういう訳にもいかない。育成方法のスキルが無かつたり、コーチが社内にいない、もしくは忙しい。モチベーションを高く持つ、それは社員本人の自己責任であろうが、そうなるような土壌づくりが企業にとっても大切である。果たして企業はそれをやれるのであろうか?
例え、前向きな社員でも何をやれば良いか見えてこないとどこに向かって進めばスキルやキャリアがアップするかの判断ができない。会社は成長への羅針盤を示す必要がある。そして、会社にとって大切な人材であると思っている社員に対しては大切だと考えているというサインを社員に正確に伝えるべきであろう。なおかつ、伝えると伝わるは大きく違う。
伝えても伝わらなければ、その人も転職していくであろう。

2023.10.9 No14

「失っていく感情」

高齢者の入り口に差し掛かってきた今、夢を見て思い出すものがある。恋心である。年に2~3度位であろうか、初恋の片思いの相手が登場する。今日はその女子ではなかったが、珍しく惚れられて、こちらもその気になり付き合ってくれと告白に行く夢を見た。こういった夢を見た目覚めのときには多幸感や切なさ、淡い気持ちに満ちている。長い人生でそんなに経験するモノでもないが片思いや憧れ、好きだという感情は若い内には定期的に起こっていたものだ。
さてこの年になってくると夢でしか体験できなくなっているという事実に気付き、少なからずショックである。ひょっとしたらこういう事も年寄りになる一因なのであろうか。
肉体的に衰えていく事に注目されがちであるが、精神面を見てみると滾る思い、覇気、恋心、これらは若いエネルギーを源としているのであろうか、一般的に夢を追う心にしても次第に薄れていくように思う。サッカーのカズこと三浦知良は50代で現役プロとしてピッチに立っている。明日の自分を信じて。いまだにこの思いを持っているのである。だから年を感じさせないのであろう。自分から隠居宣言せず、まだ現役だ、まだまだやれる、目標に向かっていく気持ちが萎えていない、自分をごまかさないことが大切だ。
精神的な年寄りにならないことを目指そう。

2023.10.8 No13

「お金の怖さ」

私は今、63歳の一般社団法人の代表理事をやっている。サラリーマンを60歳定年まで勤めて退職後に起業し4年目である。毎日自分で使った金を精算し、毎月収支を出して管理している。サラリーマン時代は予算というモノは会社の金と言う意識しかなかったが支出には神経質になった。本当にサラリーマン時代には利益という事に関して意識が低かった。自分で事業をやりだして初めて人件費というものの手ごわさを感じている。
幸いに人を雇っていないので大きな支障はないが人件費と言うのは難しいテーマである。またお金がないと何もできないという実感を強く持つようにもなった。お笑いキングコングの西野亮廣の本で「夢と金」というモノがある。遣りたいことがあってもお金がなければできないでしょ。という事である。つまりは金の切れ目は夢を追いかけることが出来なくなることを意味する。
今、事業主として第2の人生はビジネスを楽しむという事に注いでいるが、それが事業展開できる十分な資金を得られなくなった時に、ただ生活費を稼ぐために老後を生きるというモノになるのかと考えるとゾッとする。自分にはできない。そのことが悪いと言っているわけではないが自分の性格からして、また仕事以外にシュミのない人間にとって多分耐えがたいと感じるであろう。
そうなったら後ろ向きで愚痴っぽい、時々見かける絶えずブチブチと小言を言いながら文句を言っている老人(なぜか男に多い気がする)になるのだろう。
お金を回していく事に真剣に取り組むようにする。

2023.10.7 No12

「ソーシャルビジネスとビジネスモデル」

一般的な前提としての話では企業は営利団体であり、利益を目的とした集団であるが、その存在は顧客の利益追求(顧客ニーズの実現)を実現する事によってその企業が選ばれ、結果的に利益を生み出すことが出来る。企業は社会の構成メンバーであり社会をより良く回していくために存在するパーツともいえる。そのような意味合いから外れる行動と言うのは、例えば顧客を騙す、押し売り、情弱ビジネス的なモノも含まれる。
長期の視点に立った社会の方向性の上にのった企業は社会の構成員としての役割を果たし、無くてはならない企業としての地位を築けると言える。ソーシャルビジネスの定義を拡大解釈し社会を構成・維持・発展する事に係るビジネスであるとすると、企業のそれぞれのビジネスはその中での一つのピースと言える。社会における総論と各論という事になる。
総論とは謂わば国の方針で白書・法令の形で現され、各論はそれに対して顧客サービスの実現として行われていると考えるとわかりやすい。ここで企業の限界(おかれている立場)であるが、一企業ではもちろん全てを賄うことが出来ないというかカバーしているわけではないのである部分を担う事をやっている。そしてそれは競合があり競う事で進歩するという良い面がある反面、自社を強く推進する事で総論の目的がブレる、もしくは進みにくくなる事がある。
そこでソーシャルビジネスとは総論を大きく打ち出し、目的を明確としたうえで各論を関連する各企業に展開して取り組みをコントロールする事であると言える。このことが出来たときに社会の方向性・国の方針とマッチしているので上手くいくと言える。
これを基にソーシャルビジネスのビジネスモデルをMETが展開すれば、たとえ小さくとも意義のある会社となれる。ソーシャルビジネスの事務局的な存在となる。

2023.10.6 No11

「誤解」

メールを送ったのにいつまでも連絡がない。嫌われているのか?軽く扱われているのかと気に揉む。こちらのミスで別の人物に送信していた。ご送信を知らせてくれてありがとう、そして思い上がっていてゴメンなさいである。こんなところに人間関係が上手くいかないちょっとしたきっかけが隠れている。
チョット不穏な気持ちになりそうなときには一度立ち止まって、見直すというのは必要だ。
最初は小さなボタンの掛け違いが、先々で分かり合えない関係へと進んでしまう。怖いことだと感じた。年を取ったせいか、それとも若い時からか感情の起伏=俺は正しいという気持ちが強くなっていく気がする。横断歩道を渡るときの様に右、左、右と確認して人に対しては判断していこう。

2023.10.5 No10

「混沌の時代」

外部環境が大きく変わる、AIの登場、ロシア・ウクライナの戦争、中国・台湾の緊張、北朝鮮の核開発、不況、今まで経験したことのないインフレ。これからの時代はどうなっていくのか若い世代は不安でしょうがないのではないだろうか。中国では寝そべり族と言う反社会的な・無気力の象徴的なものがブームとなっていると聞く。アピールもあるのかもしれないが、希望をなくした若者。低賃金で働かざる負えない派遣・パート社員。日々お金に追われ、頭の中央に鎮座している。政府が悪いのか?それとも本人が悪いのか?何をすれば現状から抜け出せるのか?
YouTubeでは意識高い系の動画が流れているが、どうせ私は出来ませんよ。と言った受け止め方が多いであろう。と言うよりもそもそもそういったモノを見ないのだろうが。不確定因子が多く、変化のスピードも速い現代をどう捉えて、何をやっていけば良いか?苦しさを我慢ができるか?そう言ったことが出来るヒトは生き残れるのであろう。
精神論ではないが、これからの時代は頭が良いから良い生活ができるというようにはならないのであろう。なぜならば、ヒトは知識レベルの優劣ではAIに劣るからである。何が出来れば生き残れるかは分からないが、気持ちが腐っては取り組みがいい加減になり、根気が続かない。そんなことでは勝てる確率を自ら下げるようなものである。今一度、より一層に意識を高く持つことである。

2023.10.4 No9

「伝える難しさ 分かり合う」

今日カンブリア宮殿の放送で伝えると伝わるには大きな差がある。「伝える」で役割が終わった気でいることが多いのだと反省した。伝わるまで辞めない、諦めない必要性を感じた。
実に今日の打ち合わせがそうであった。話がかみ合っていなかったのである。相手が望んでいることはある程度は明確であるが、その背景がつかみ切れていなく方向性で食い違う。まず、前提条件で食い違っている。事象のウエイト付けが違っているのである。それでは何に対処すればよいかと言うところが異なるのでアプローチが違ってくるのである。もっと話し合う内容、決めなければならない事柄を明確にして打ち合わせに望まなければならない。
これでは伝えるだけで伝わるという事が出来ていない(お互い言いたいことを言って終了)のでこちらの趣旨も相手の趣旨もお互いがお互いを理解しないで検討しているので上手くいかない。会議の方法論はまじめに勉強する必要がある。YouTubeなどで一流企業、特に外資などの仕事の厳しさを垣間見るにつれて、話し合いが只の個人意見の発表会、信じていることを言う、という態であるという事を感じる。前へ進む力が弱い、スピード感もない。この事と関連するが見える化と言う技術が大切であると実感した。見える化で論点を画面に出し、分解してそれぞれに取り組む、課題やタイムスケジュールもそれに合わせて検討する。あまりにも今迄は手探り感が強く、技法に沿って無いアプローチで未熟であった。見える化と会議進行を身に着ける。

2023.10.3 No8

「AI時代に生きる」

チャットGTP、生成AIと最近、話題となっているが友達に教えて貰い試し、かつ関連図書を読んだ。「とんでもない時代が迫っている」と言うのが素直な感想である。兎に角早くて安くて美味しい(仕事上での話であるが)、まるで吉野家なみに3拍子揃っているのである。「こりゃー社員がいらなくなるな~」と思った。仕事でももちろん機械がやる部分、ヒトがやる部分と分けられているが、機械部分が広がり逆にヒト部分は狭まる。スピードとコストでは提携仕事においてAIには叶わない。
仕事仲間にAIについて尋ねると知ってはいるが仕事には活用していないというのが大半であった。職場はAIによって奪われるのではなく、AIを駆使するヒトによって奪われるのであるというのを本で読んだが、まさにその通りであると思う。少なくともAIを当たり前のように仕事で活用し、スピードとコストを改善していけるかどうかというのが重要である。
METではビジネスの実践研修と言うスタイルでビジネスリテラシーを上げるという事に取り組んでいる。これからのビジネスパーソンは企画力とAI駆使力で勝ちぬていく事が必須となる。何と言ってもこれからの競争相手にAIが参入してきたのだから。

2023.10.2 No7

「ため息と仕事」

個人事業主・一般社団法人として4年と半年が過ぎた。やってみなければ判らない事は多いが、この頃気付いたことがある。仕事に向き合う姿勢とため息だ。ため息?何だと思われるかもしれないが、実はサラリーマン時代にはよく仕事中にため息が出ていた。大体仕事が面白くないときや嫌な仕事、成果に繋がらない形骸化された管理報告のような仕事している時に無意識でため息が出ていたのである。「こんな仕事をしてなにになるのか、会社が管理する為だけに存在する仕事。どうせ報告してもななめ読みするくらいなのだろう。」そう思っていた。実に多くの時間を取られるのも憂鬱であった。
自分にとってその時間は仕事をやっている時間ではなく拘束されているだけの時間で、本質に迫る時間とは真逆に進んでいると感じたからである。もちろん、会社と言う組織の運営には必要な事であるが、その大切さを感じられず、形骸化しているだけの業務と思っていた。
その反対に自分が社長で従業員である現在、管理業務や社内の人間関係というモノがない。目標に向かってただ進むだけ、社内営業みたいなものがなくなった。
そういえば昔は良くため息が出ていたな~と懐かしくもなく思い出す。

2023.10.1 No7

「新たな挑戦 出版&販売」

人生初となる図書の出版と販売をコーディネートすることとなった。今まで、資材作りの一環として本の作成に携わってきた事はあるが、今回初めて出版と販売に責任を持つ事となった。領域は女性の健康、ターゲットは医師、目標販売部数は5000部である。
新味のないテーマをどの様に興味を持たせるか、切り口と言うか意味づけ・見せ方がポイントとなる。今までにない売り方(医学系図書として)、こんなチャンスはもうないと思うのではなく、これが成功したら第2弾、第3弾と続くのだと捉える事にした。(早速、降伏論が役立っている)
少し考えや状況を整理してみると、確実に5000部を捌く、購入予定者を想定して部数を割り出していくと、友松2000部(関連部署6団体からも購入)残り3000部となる。 自然売りが500部とすると、2500部の販売をどう考えるかである。
内容が一般医家向け・婦人科医向けとすると講習会・セミナー用に配布(協会資材として)する事を考えている。つまりは協会と友松で4500部を買うという方法でも良い訳だ。但し、外部から見たときに出来レースとは見えない納得のいく方法であることや協会のアピール・運営にプラスとなる、将来の活動に繋がっているというイメージを持てることが必要である。その場合に出版社からすると売れた本と言うよりも売った本という事になる。本作りの本職からするとセミナー用の教科書を作ってスポンサーが買い取ったと言うだけでは魅力がない。言ってみればただ5000部を作って納品したと言うだけで、特別なニュービジネス感、時代を先取りしている感はない。これではニュービジネスではなくオールドスタイルである。そうはいってもクリアーすべき目標は確実にクリアーした上で新時代のコンテンツを出していく必要がある。
新時代はAIの時代である。AIを駆使し、活用できた企業・ヒトが次世代に生き延びる。
やってみなければ判らないことは多い。
まさに今回の事を、そのためのチャレンジ企画と位置付ける。飽くまでも出版のための新しいビジネスモデルの追求である。
本5000部販売、2次使用料、幹から枝葉がわかれるように、多方面への資材作成し使用料としての利益が出版社へと入っていく方法を目指す。
低コストと言うのも大切である。AIをフル活用した時に如何に予算を抑えられるかと言うところがポイントである。
まさかこのようなチャンスが訪れるとは思っていなかったがビジネスを展開するという事は自分が儲けるためにというのではなく、社会(自分から見たときの相手)にどれだけのメリットをもたらせられるかという事だと思っている。

2023.9.30 No6

「野獣 爆誕」

将に良書である。兎に角、具体的で分かりやすい。今までの生き方(既に63歳であるが)を反省させられると共に、なぜそういう感情となっていたのかの原因を思い当たらせてくれる。根本的な考え方をどのように持つかを教えてくれる。
常に自分は正しく、他者が誤っていると思っていること自体が思い上がりであった。一所懸命に頑張っている己の姿に酔い、他の工夫やアプローチを軽視したり、自分を正当化していることが成長を阻んでいる。なかなかにその事には気付きにくく、気付きたくもないのである。限界が訪れる。成長は止まるという事だ。
それにしてもこの本の著者、高森さんは高卒で横浜ベースターズに入団したプロ野球選手である。正直言って学校で勉強したかと言えばそうではないであろう。しかしながらこの本に書かれているレベルの高さ、本質への迫り方はシンプルであるが深い。自分自身で勉強したのはもちろん多いが、一流の人間との出会いとそれに真正面から取り組んだ結果なのであろう。良い出会い、何に取り組むか(目標をどこに置くか)で立ち居振る舞いは自ずと変わってきて、人格となって現れるのであろう。彼はエレガントなヒトを目指しているそうだ。
では、私は何を目指すので会おうか?考えるのではなく、心の中心に何があるのか?纏っているオーラは何色なのかである。そう考えると闘う事が好きだ。戦っている自分の姿が好きなのである。戦いに向かって成長している姿に酔いしれる。戦いの時間が好きなのである。
迸る闘気、圧倒する気力、そういったモノに憧れる。
野獣 爆誕。

2023.9.29 No5

「明確なビジョン なりたい自分」

一昨日に事件は起きた。私が仲介している大学教授と企業の社長との間で。新製品の研究・開発についてどのように取り組むか、何を委託してまた費用負担はどれほどになるかについてである。この際に社長の返答が二転三転し教授は怒ってしまった。というよりも呆れてしまったのである。いったい何がやりたいのか?判断ができない人物(優柔不断なのか、頭が悪いのか)と思ってしまった。トップたる者に明確なビジョンや拘りがないと意思決定が常にブレるんだ、という事を目の当たりに経験した。この事か‼
呂布カルマが好きな事、やってみたい事、なりたい自分の姿くらい大人になるまでに分かるだろう。何をやれば良いか分からないと言う人のことがわからないと言っていた。
日頃あまり自分に向き合う事もなく生きていると、いざ判断を迫られた時に迷うんだと思った。何をやりたくて、何をやり、何はやらないという線引きは細部まで、決める必要はないが、判断基準・ゴール・方向性をきちんと持てば、自ずとそこに規律が生まれ、一貫性のあるヒトとなるのである。それこそがなりたい自分に繋がる、成功への道だ。
どれくらい真摯に取り組めるかがポイントである。

2023.9.28 No4

「自覚という成長点」

植物には成長点というモノがあり、そこが成長していく事で大きく育っていく。 自然の摂理であるが、では人間、組織の成長点はどこにあるのであろうか?サラリーマンだから仕事するのが当たり前、お金を稼ぐため、役職を上げたいから。それぞれを基軸として成長していくのであろうと思うが、より良い方向性やパワーがあり持続性のある成長点というモノを考える必要がある。
良い成長点(正しい成長点)を持たなければ早晩ストップしてしまうだろう。また、常に意識できなければ成長点の感度は低下してしまう。
まずは成長するという意識を持つことであり、また何の為に成長をするのかと言う持つことが大切になる。これには自覚、何の為に生きているのかという意識の問題であろう。
良い目標、良い方法というモノを心の中にしっかりと持ち、そのことを自覚する事が大切であろう。シンプルな目標、方法、諦めずに邁進する継続力、それを自覚し、日々、内省する事で成長点はいつまでも枯れずに輝き、成長は持続できると信じる。 今日からは少しぼんやりしている成長を自覚する事で、まずは成長点に力を取り戻したい。

2023.9.27 No3

「バビル2世に」

今やAIの時代である。実際にニュースなどでは多く取り上げられ様々な新製品やサービスが採用されている。すでに見える形で登場し、身近なサービスでもGTPを一度は試してみた者も多い。しかし、こんなモノかと体験し驚きはするがまだ正確ではないとか、何に使えばよいかわかっていないサラリーマンが多い。
AIの時代だ、失業者があふれる、人間がやる仕事がなくなると騒がれているにも拘らずである。『茹で蛙』と言うたとえ話があるか、まさに時代の変化が起こっていても(自身の周りでは緩やかに、そして不可逆的に進行している)目をそらしている。若しくは深く考えないようにしているように見える。仕事を必死に取り組んで、忙しく立ち回っても最終的にはAIより効率が劣ることは明白なので取って代わることになってしまう。断言した言い方であるがそれ位にAIのサービスは素晴らしく、更なる発展の可能性を感じさせられる。
来るべき世界は誰が労働しているのであろうか?人間の担うスペースは存在するのであろうか?
最近読んだ本によると将来の労働はケンタウルス型となり、AIと融合し労働に取り組むサラリーマンの登場を予測していた。現在でもAIサービスを提供している企業はそのサービス自体、ヒトが考えたものでAIを活用したサービス(ヒトの代替としてのコンテンツ)を提供し、労働を効率化することが出来ている。
人で不足の今は推進圧力も強く無条件に受け入れている。間違いなく便利で効率の良いサービスであるのでウエルカム状態となっているがある日、気が付くと求人倍率が1を切ってくる日がくる。そして残っている仕事は条件の悪い「きつい」「きたない」「危険」な3Kと呼ばれる仕事中心になってしまうのでないだろうか?市場や企業規模も大きくなくAI化・ロボット化する程ではないような仕事でしかヒトが働けないのであれば寂しい。
創造的な仕事と思われていた領域(資格、高学歴、長年の経験)で働いていたサラリーマンがいつの日にか退場させられる日が来ると思うと複雑である。
AIを凌駕する人間になるのは不可能であるが、AIを駆使できるサラリーマンになろう。
そういえば子供のころの漫画で「バビル2世」と言うのがあり、3つのシモベに命令して戦うというものがあった。
これからのサラリーマンはバビル2世になるんだ。

2023.9.26 No2

「ヨイショからヨシ‼」

この頃ビジネス関係の動画や本をみると「兎に角手数の多さが必要」常に前向きに、そして自らの行動を反省する(と言うか顧みる)。今の自分の立ち位置は過去の自分が連れてきた場所であるという認識を持つことが大切である。
多くのビジネスパーソンが言っているのは「能力の差」というより「手数の差」、ピッパの精神(ピッと思いついたらパっと行動することが大切であると言っている。そして、上手くいかなかった時に自分の経験や判断材料が間違っていたのであり他者の性にしない。
とにかく手数、そして反省、他人にこれだけやっていると自慢したくなるのは組織人として出世したいから、良い評価を得たいから・・・・本質、ステップアップする自分・・・・己の成長という事から離れてしまう。
何を目指すか、今一度、自分で決めて日々何に留意するかを考える。方法論として、降伏論の中で、いつも言っている口癖を封印してみるというものがある。
その言葉を発しないというのは常に気を付ける、意識をするという事なので、自ずと行動が変わってくるというものである。成る程、確かに効果ありそうな方法だと納得した。
自分の良くない口癖は何だろう、意外と自分自身ではわからないモノで・・・
少し違うかもしれないが、ヨイショ・ドッコイショとかが無意識に出る。
特に椅子から立ち上がる時に多い。これをヨイショからヨシ‼と変えるだけで気力が充実している、やる気のある人に感じられる。そしてそれが自分に跳ね返って、本当に気に溢れた人格となっていくような気がする。
ヨシ‼、今日、たった今からヨイショ、ドッコイショは封印し、ヨシ‼という言葉に変えて生きていこう。

2023.9.25 No1

「サラリーマンを辞めて素直に」

最近、ビジネス本を読み始め、反省(サラリーマン時代の思い上がり・至らなかった点)させられる事が多い。
もう少し早く知っていればと思うが、サラリーマン時代に読んだとしても自分なりの解釈、都合の良いように読んでいたであろう。果たして今のような解釈とは多分異なっていたと思う。
昨日見たユーチューブ、降伏論「できない自分」を受け入れる 高森勇旗 元ベイスターズ選手の話は面白かった。また、その考え方は役立つと感じた。
全てを自分で判断し、今までの慣性に流されない生き方。頭脳が苦労をしたくないのを先取りし、とりあえず今まで通りを選んでしまう。それに反抗し、常に自分自身で判断する。
そういう癖をつける、これこそが自信が変わる第一歩!
もし、現状に不満があるとするならば、それは過去の自分が連れてきたのが今の世界と言う認識を持ついことが重要である。
それまでの種々、日々の判断が原因ととらえて、常に自分で判断し、惰性に流されない。
良い観点を知ることが出来た。